大森氏と小田原の形成

足柄を制した実力者、大森氏の台頭
大森氏は、駿河国駿東郡(現在の静岡県御殿場市・小山町付近)を本拠とした有力国衆である。藤原北家親隆流を称し、鎌倉公方に直接仕える「奉公衆」として、駿河・伊豆・相模にまたがる足柄山地一帯に強い影響力を持った。
その勢力拡大の転機は、応永23年(1416年)の上杉禅秀の乱である。大森頼富・憲頼らは公方側として軍功を挙げ、恩賞として相模国足利郡(後の足柄下郡)への進出を本格化させた。
物流と軍事の結節点――「関所」から生まれた支配権
彼らは箱根道の関所(伊豆府中関や箱根関)の管理権を掌握する実務官僚的な性格を併せ持っており、その権限を背景に物流の要衝である「小田原」の支配を確立していった。
北条へと引き継がれた、中世都市・小田原の原風景
当時の小田原は、南北朝時代より足利尊氏が軍勢を駐屯させるほどの戦略的要害であり、同時に東海道の「宿」や海運の拠点を備えた活気ある港町でもあった。大森氏は、この小田原の「関」を核として形成された集落や流通機構を掌握し、それまでの山間部の拠点を越えて、都市的な富と軍事力を蓄積していったのである。これが後に北条氏が拠点とする「日本最大の中世城郭・小田原」の都市的基盤となった。

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