小田原古城の謎

小田原古城

定説を覆す発掘調査の真実

長らく、大森氏時代の小田原城(古城)は、現在の城郭の背後に位置する八幡山を中心とした「八幡山古郭」に所在したと考えられてきた。

しかし、これまでの発掘調査では、北条氏以前(15世紀代)に遡る遺構や遺物は確認されておらず、大森氏の明確な居館跡はいまだ特定されていない。

遺跡群への呼称変更と諸説の乱立

こうした状況を受け、現在、小田原市は当該エリアを「八幡山古郭」という城郭用語ではなく、「八幡山遺跡群」と呼称し、実態の解明を進めている。大森氏の拠点については、伝承のある華岳山城源寺付近や、交通の要衝である「関」に隣接した平地の居館、あるいは後の小田原城三の丸付近など諸説あるが、いずれも決定打に欠けている。

中世小田原、解き明かされないミステリー

果たして八幡山は、北条氏による大規模な改修以前はどのような場所だったのか。大森氏はどこを政庁として小田原の町を治めていたのか。中世小田原の構造は、今なお考古学的な大きな謎として研究者の関心を集めている。

お城をつくる会

認定NPO法人みんなでお城をつくる会

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