日本最大級の城郭都市「小田原」の完成

三代にわたる防御網の進化
小田原城は、二代・氏綱が本拠を移して以降、北条領国の中枢として段階的に拡張された。三代・氏康の時代には、現在の本丸(天守閣周辺)を中枢とする「土の城」の骨格が形成され、四代・氏政の代には、家臣団の増大に伴い三の丸外郭を増築。天然の地形を巧みに取り込んだ多重の防衛網が築かれた。
秀吉を迎え撃つための「総構」
五代・氏直の時には、豊臣秀吉の来攻という未曾有の危機に備え、城下町を丸ごと飲み込む総延長約9kmの「総構(そうがまえ)」を構築した。巨大な空堀と土塁で囲まれた内部には、家臣団の屋敷だけでなく、商人や職人の居住区(町人地)、さらには寺社や田畑までもが計画的に配置された。
日本最大の中世城郭が残した遺産
特筆すべきは、これらの町人地も防御の一部として機能していた点である。
戦時には町全体がひとつの巨大な要塞として機能し、兵站と戦闘が一体化した「自給自足型の軍事都市」を実現した。この「総構」の完成により、小田原城は日本最大の中世城郭となり、後の近世城郭都市のモデルともなった。

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