小田原城下の町並みと「小田原葺き」

小田原城下の街並み

「西の京」と称された先進的な街並み

小田原城下は、東海道や甲州街道といった広域交通網を軸に、北条氏によって整備された都市である。単なる自然発生的な拡大にとどまらず、職能ごとに町割りが行われた点にその特色がある。

城下の景観を特徴づけたのが、「小田原葺き(おだわらぶき)」と呼ばれる独特の屋根様式であった。氏政の弟・北条氏規が京都の町並みを参考に導入したと伝えられ、板葺きの上に平たい石を置く、あるいは板を重ねる技法が広まったという。この整然とした町並みは、当時の東国において小田原を「西の京」と称されるほどの先進的都市へと押し上げたとされる。

小田原葺き

ゼロからの創造か、既存の再編か

しかし、こうした「極めて計画的な城下町」という評価については異論もある。小田原はもともと宿や港として栄えた土地であり、北条氏がまったくのゼロから設計したわけではないという見方である。近年の都市史研究では、北条氏以前、すなわち大森氏の時代から形成されていた中世的な「宿(しゅく)」の構造が、のちの町割りの基礎になったとする説が提示されている。つまり、北条氏は一から町を創出したのではなく、既存の自然発生的な町を、自らの軍事・徴税体制に適合するよう再編したと捉えるのである。

美しき逸話に隠された実像

また、「小田原葺き」の由来や普及過程についても慎重な検討が必要とされる。氏規が京都から持ち込んだという逸話は広く知られているが、考古学的に見ると板葺き自体は東国で広く見られた建築技法であり、特定の人物による導入と断定する確証は必ずしも十分ではない。軍記物などの伝承に依拠する部分が大きいとの指摘もあり、その成立事情については今後も検討が求められている。

お城をつくる会

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