宝永天守の完成と天明の「引き起こし」修復

小田原地震による天守の傾斜

元禄地震の倒壊を経て宝永3年(1706年)に完成した天守は、明治3年(1870年)に解体されるまで約160年間にわたり小田原の象徴として存続した。その間、天明2年(1782年)の小田原地震で甚大な被害を受けたが、天守自体は倒壊を免れたものの北東方向に大きく傾いた。

巨大な天守を「綱」で引き起こす

この危機に対し、藩の御抱大工棟梁・川部匠太夫(かわべしょうだゆう)が、屋根瓦を剥がさずに巨大な綱で天守を引き起こすという、当時としては極めて大胆な工法を提案し、これを見事に成功させた。

この修復工事には延べ千人以上の人員が動員され、天明5年(1785年)に完了。併せて各部の小破修理も進められたことで、天守は再びその威容を取り戻した。

昭和の再建を支えた「江戸の設計図」

この時、川部家によって作成された精緻な設計図面や模型(雛形)は、昭和35年(1960年)の天守閣再建において、外観復元の極めて重要な資料となった。

お城をつくる会

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